大河ドラマ

週末に大河ドラマ義経」の総集編がありました。
可能な限り毎週見ていましたが、改めて思うことは、ここ最近の大河ドラマって少し変わったなぁ、と思うことです。
もちろん、「義経」に関しては、弁慶と出会う五条河原のシーンは、上からロープで吊ってある感じが見え見えであまりに演出が幼稚な気もします。正直、もう少し何とかなるだろうという気もします。
しかし、そういう細かいところはともかく、話全体がここ数年変わってきたなと思うのです。
大河ドラマは別に史実に忠実である必要はありませんし、歴史の授業の教材でもありません。ですから、五条河原での弁慶との出会いや勧進帳のシーンは明らかに後世の創作ではありますが、それでもこれらは多くの人が知っているシーンでもあり、義経をテーマにすれば名場面であり、史実に無いからといってカットする必要はありません。
しかし、話の流れ全体が、以前の大河ドラマと比べて、歴史の真実を追究してきているなぁ、という傾向を感じます。
一般的に兄・頼朝というのは猜疑心が強く、弟・義経に注目があるのを嫉み殺した、と考えられている方も多いのではないでしょうか? 実際にそういう気持ちが無かったとは言えなくも無いと思いますが、そういう個人的な感情以上に、頼朝からすれば、いや、頼朝個人というより幕府という組織からすれば、義経の行動というのはかなり問題があったわけです。
日本は天皇が中心の国家だったのです。もちろん実質的に天皇が実権を持っているときもあれば、そうでなく形式的なだけのときもあります。幕府成立以前は皇族でない藤原氏が実権を握り、摂政や関白という天皇の代理として実権を振るいます。平清盛太政大臣になり天皇の代わりに実権を握ります。
でも、天皇の代わりなのですよね。この天皇の変わりになる方法は一族の女性を天皇の妻としその生んだ子を天皇にして、血縁という事実に基づき実権を得る方法です。つまり実権は天皇に無くとも天皇を中心とした体制、朝廷が政治を行っていることに代わりは無いのです。
これと幕府政治が何が違うのかといえば、頼朝は特に皇族との血縁を結び、その血縁という事実に基づく実権をとる方法ではなく、あくまでも実力主義なのです。
そもそも人はなぜ働くか。これは現代でも一緒でご褒美をもらえるからです。今でも労働の対価としてお給料をもらえるので仕事をするわけです。もちろん人間はそこまで単純ではないので、お金のためだけでなく責任感や人間関係もあったりしますが、そうは言ってもお金が無くては生活も出来ないし、最初からお金は払いませんよ、という人には仕えない思います。
この時代、貨幣経済ではないので、何らかの位を認めてもらうことにより実権を得ることがそのご褒美です。
では、そういう位って誰が認めるか? それは天皇を中心とする朝廷が認めるわけです。天皇と遠戚関係になることによって実権を得た藤原氏平清盛ならば、朝廷の実質的な権力者なので問題はないのですが、頼朝、というか、幕府は朝廷とはまったく別の組織です。
では、どうしたか? まず、朝廷に勝手に位を与えるなと脅す、その上で、幕府から誰それに位を与えるがどうですか? と推挙する。朝廷はその言うことを聞かざるを得ないので幕府の意向どおりに位を与える。実力では幕府が圧倒しているわけで、例え幕府に位を与える権限が無くともこういう形が一般化すれば、実質的に幕府に位を与える権限があるのと同じわけで、仕えようという人たちが増えてくるわけです。
ところが、こともあろうに、幕府の代表者である頼朝の弟の義経が、勝手に検非違使に任官してしまうわけです。結局、幕府の推挙なしで勝手に位に就くことを認めてしまえば、当然、朝廷がその権限を利用して人を利用したりするようになり、そうなると幕府にとっては都合が悪いのです。
そう。義経が憎いとか、検非違使になったのが腹立たしい、という単純なものではなく、幕府のゆるしなく勝手に任官してしまったという事実はとても好ましくないのです。事実、大河ドラマ中でもありましたが、幕府のゆるしなく勝手に任官してしまった人たちは罰せられてます。挙句、義経は討たれるわけですが、これを見た多くの人は、朝廷が位をくれるといっても幕府に断りも無く任官してしまうわけにはいかない、と思うわけで、こういうことが幕府への依存につながるわけです。
最初、「義経」がテーマの大河ドラマが始まると聞いたとき、日本人の好きなお涙頂戴の話かと思っていました。弟を嫉み兄に殺される・・・といううパターンです。ところが、実際の大河ドラマでは、兄・頼朝を、猜疑心の強いイヤなやつとは描かれていませんでしたよね。五条河原や勧進帳などの史実と違うシーンがあるのは演出上あってもよいと思いますが、こういう歴史上の大事なテーマが抜けていないというのは大きいですね。頼朝は単なる猜疑心が強く嫉みだけで弟を討ったわけではなく、幕府という朝廷と全く関係ない組織を作ろうと思った場合、義経のとった行動は以下に問題がある行動だったのかということです。
歴史とは過去のことであり、定説以外に異説も奇説もあります。新たな歴史的なモノの発見があるとそれまでの定説が覆されることもあります。が、頼朝に猜疑心や嫉みが全く無かったという気はありませんが、幕府成立の前後の流れを考えれば、頼朝は、というより幕府は、義経の行動は絶対に認められないのはわかることです。
幕府に限らず、実権を握るというのは「信賞必罰」であるわけで、こういう現代でも通ずるテーマは歴史上の事実にゴロゴロしているわけであって、そういうことが歴史から読めるのはすばらしく、大河ドラマがそういうことに少しでも役に立っていれば良いことですね。
歴史というのは人間が動かしているわけで、そこには人間の欲や嫉み等の人間心理が働くわけです。ある事件があって、それに対し人間がどういう行動をとったか、という流れが大事なわけです。1つ1つの出来事の年号を覚えることは大して大事なことではなく、おきた出来事の順番がわかればそれらの相関関係がわかりそれが本当の意味で歴史的な流れを理解するということだと思います。
最後になってしまいましたが、義経に限らずここ数年と書いたのは過去の大河ドラマでも似たようなことがあり、例えば北条時宗の時は、一般的に元寇は2度とも暴風雨、いわゆる神風が吹き元軍が一掃されたことになっていますが、実際に最初の文永の役には暴風雨が吹いたという記録なんて無いのです。弘安の役では暴風雨があったようですが、1度だったら「ラッキーだったなぁ・・・」と思ったのかもしれませんが、2度も都合よく暴風雨が吹いた、となれば「日本は神国、神に守られている」という発想につながりかねませんし、実際そうなってしまったわけです。大河ドラマ中では、1回目の文永の役では、朝、海を見たら、1艘も元の船はなくなっていて、時宗も実際に戦った鎌倉武士も理由がわからずじまい、という話になってました。暴風雨が吹いていたのは2度目の弘安の役だけです。これが史実だと思いますが、これを見た人が「へー、2回目だけだったんだ」という風に感じられることが大事なのだと思います。ひょっとするとこの事実が早くからわかっていれば神風という認識は無かったのかもしれません。鎌倉武士の奮闘と前もって気づいた土塁と後はラッキーな暴風雨でかろうじて難を逃れた、と認識する可能性だってあるのです。こうなるといつでも海岸防備には気をつけないと、と日本人の心には深く根付き、数百年後のペリーの黒船に対してもまた史実とは違った展開もあったかもしれません。
第2次大戦中、神風と言ってはいても、さすがに暴風雨が吹いて米艦隊が沈んで大打撃を受ける、なんて本当に考えていた人はいないとは思いますが、大戦末期に米大統領ルーズベルトが亡くなった時に、これが現代の神風、と考えてしまった軍部もいるわけでもう少し頑張れば活路が開かれるという発想にもつながるわけです。これが無ければ、神風という名の特攻隊も無ければ、沖縄・広島・長崎を含む日本全土が多くの被害をあわずに済んだのかも知れません。
歴史とは単なる暗記科目ではなく、人間の行動の集大成であり、だからこそ後世に影響を及ぼすものです。